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ゾロアスター教入門

 

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ゾロアスター教入門 (1)

 

  ゾロアスター教入門ということで,これから皆様と一緒に学んでいきたいと思います.古代イランの宗教で,ゾロアスター教という名は時々お聞きになったことがあると思います.いろいろな場所で聞く機会がありますね.昔はごく,マイナーだったのですが,この頃はゾロアスター教という名前がよく出て参ります.ところがゾロアスター教そのものが,本当はどんなものであるのか,正しく理解されている方はそれほど多くないと思います.ゾロアスター教に興味を持つのは,先ず鳥葬というのがありまして,鳥葬というのは鳥によって死体を処理するのですが,ボンベイなんかに沈黙の塔,ダフマと申しますけれども,沈黙の塔,サイレント・タワーと英語で訳されるものがあって,そこで死体を鳥に喰わすという特異な風習があるんで,それに興味をもってゾロアスター教とは,そもそも何なんだろうかと,いろいろ調べてみようとする.もう一つは火ですね.彼らの宗教儀礼の中で,中心にあるのは聖火,火を祀って,いろいろな儀式をやるわけです.従って昔は拝火教徒などというようなこともいわれたこともございます.ちなみに某大新聞が火の特集をしまして,そのときに,東大寺のお水取りを取り上げた.そしてその源泉に,どうもゾロアスター教が関係しているようだと書いている.また正月の歌会始のお題が火になった.そうすると必ずゾロアスター教のことが話題に出される.そのように火からゾロアスター教を連想して,云々される場合が結構ございます.それともう一つは,これは少々熱はさめたようですが,古代史ブームというのがございまして,特に飛鳥というところから出てくる妙な石造物が注目された.そういう石造物が,どうも今までの日本の宗教では解釈しかねるものが多い.したがって,そこにこのゾロアスター教が影響しているのではないかなんていうことを,もう亡くなりましたけれども,松本清張さんあたりがおっしゃっていました.そんな関係から,いわゆる古代史のロマンというものをきっかけにして,ゾロアスター教に興味をお持ちになる方も,いらっしゃったようです.

 このようにどちらかというと,火とか鳥葬とか,飛鳥にあるような変わった遺跡,すなわち見えるものを通して,ゾロアスター教という,見えない宗教といったらおかしいのですけれども,なかなかなじみのない宗教に関心をもって,研究していこうという人々が結構ございます.

 それとまたそういう方面とは違って,世界の宗教史というものに,かなり知識がおありになって,悪魔の問題とか天使の問題,さらには地獄とか天国とかいうもの,さらには終末観というものを通して,そういうものの源泉にどうもゾロアスター教というものがあるんじゃないかと,お考えになる方々がいる.さらには二元論的な死海文書なんていうものもある.また仏教の方でも,お盆がございます.このお盆なんか,中央アジアの方で,どうもゾロアスター教に影響されたんじゃないかという.このように宗教史的に見ると,ゾロアスター教というものが非常に重要になってくるわけなんです.で,そういうような天使とか地獄極楽との源形を見てみたいということで,ゾロアスター教に対して,興味をお持ちになる方もかなりおられるんですね.

 さて私自身は,長いこと,もう40年以上もゾロアスター教をやっているわけです.高校生の頃に妙な縁でゾロアスター教と関係ができてしまった.しかし当時は,今のように学者としてゾロアスター教の学問をやるなんて思ってもみなかった.それでは,お前自身はゾロアスター教というものにそもそも,どういうことから興味を持ったんだと,いわれますと,一つはですね,私は当時,密教,弘法大師空海の真言宗ですけれども,これに非常に興味を持っておりました.そしてその密教の教主である大日如来とか密教の行を代表する護摩の真実を悟りたいと思っていたのです.ところが大日如来や護摩の起源が,インドの仏教よりも西の宗教,つまりゾロアスター教ですね,それに関係しているらしいと分かった.そこで先ず一応ゾロアスター教を学ばねばと思ったわけです.そして,そのためには,その宗教の教典であるアヴェスタを一応読まなければいけないことになった.しかし,語学の勉強に,ほとんど時間を割かれて,おもしろいところはほとんどやらずに何年間も経ってしまった.ゾロアスター教のアヴェスタの言語というのは,仏教の梵語,つまりサンスクリットに非常に近いもんですから,まずそのサンスクリットから始めなきゃいけないっていうんで,そのために随分時間を取られてしまった.このため自分自身がテーマとしてやりたいことは,初めのうちはなかなかできませんでした.ただ後になってみると,そのことが大変役に立った.ヴェーダをはじめとする,バラモン教の文献やヒンドゥー教の聖典を読めるようになったことです.また日本の密教だけでなくて,チベット密教や,いわゆるポン教といわれる仏教以前のチベットの宗教なんかにも手を出しました.これも後になって,イランの宗教と深い関係があるのが判るのですから,面白いものです.

 それともう一つは,私自身が倫理と申しますか,善とか悪とかいうことに非常に関心を持っていたことです.そして一般にゾロアスター教とは倫理宗教といわれているんですね.私はゾロアスターは,この善とか悪とかいうことを,体系付けて考えた,人類の精神史における最初の人であるというような気がいたします.そういうような意味から何が良いことで,何が悪いことなのか,そもそも善とか悪とかは,有るのか無いのかという,根本的な問い.ここをもう一度原点にもどって,考えなくてはいけないんじゃないか.このようにかねてから思っておりましたので,ゾロアスター教というものがやはり見逃せないテーマになったわけです.

 ちょっと違った角度からゾロアスター教とか,ゾロアスターという人物に気づいたのはニーチェですね.ニーチェという思想家は,善悪の彼岸ということを申しまして,善悪を超えて,既成の道徳観念を破壊した人だといわれていますけれども,単に破壊したんではなくて,根本的に,ラディカルにですね,道徳を問題にした人なんですね.その人がやはりツアラトゥストラという著作を書いておりまして,そういう中で,ゾロアスターというものに非常にシンパシーを覚える.彼は「この人を見よ」という中に書いておりますけれども,私はなぜゾロアスターに惹かれたのかということを述べています.ニーチェがいうには,ゾロアスターという人間は最も誠実に思索をした人なんですね.その誠実な態度に惹かれたんだといっております.しかし結論的には,ゾロアスターが善と悪の二元論を説いたのに対して,ニーチェはその善とか悪とかいうものをもう一度ご破算にしてですね,善悪の彼岸と申しますか,それを超えた世界を説いたので, 180度違った立場にいるようなんです.けれども,両者は共につながっている.そういう意味からも,やはりゾロアスターという人物や,ゾロアスター教というものを問題にしていかなければいけない.ただそれは,歴史として,過去の古い宗教としてというだけでなく,思想として,現代における我々の生き方というものを探るためのものとして学んでいく必要がある.それは自身のテーマなんですけれども.

 それ以外にも,ゾロアスター教というのは非常に面白い面がございます.それは西洋の神秘主義の中において,非常に重要なマギの伝統というのに関するものなんですね.マギというのは博士や魔術師と訳されて,いろいろな意味で見逃すことができぬ存在なんです.聖書の中でキリストの誕生を予言する東方の三博士,これがマギですね.このように占星術とか夢占いとかいう時に,彼らは必ず出てくるんです.そのマギの伝説というものが,ギリシアの時代からずっと西洋にはございます.そして近代においても西洋の神秘主義の中で,マギの伝統というものを非常に重視する人たちがいる.そういう神秘主義の中で,ゾロアスターという人は非常に大きな比重を占めているんですね.我々日本人は神秘主義というとすぐに密教というようなインド起源のものを思い浮かべますんで,ちょっと意外なんですけれども.そこでは我々は,仏さんやいろんな菩薩,つまり観音様というようなものを思い浮かべて,ゾロアスターなんていうのはなかなか出てこないんです.けれども西洋人にとっては,むしろ我々のお釈迦様にあたるような不思議な人物として,ゾロアスターが常に考えられてきている.そして芸術作品の中でも,例えばモーツァルトの魔笛の中にザラストロという形で出てきたりして,いわゆる秘密の知恵を司るものとして考えられている.

 ところで実際のゾロアスターというのはどうかというと,これは伝説の方が一人歩きをして,実像というものがなかなか見えてこなかったというところがございます.かく言う私自身も,ゾロアスター教を長いことやっていて,ゾロアスターという人物に対する見方というものが必ずしも一定しているわけではなかった.最初は西洋流の伝説から入っていったから神秘的かと思っていたら,いろいろゾロアスター教の経典を読んで見たら,どうもつまらないことをいっているなという印象で失望した.次に,いやつまらないことを言っているんじゃなくて,それは自分自身の目が未熟だからつまらないものに見えただけであって,もっと見方が深まれば,そんなものではないんだということも分かってきました.そして,いわゆる伝説のゾロアスターと史実のゾロアスターをはっきり分けて見る立場というものを,克服できるようになっていった気がいたします.

 これは仏教に関しても同じようなことがいえるんですね.それは明治時代に西洋の仏教学というものが入って参りますと,それまでの日本の仏教というものが真の仏教ではないと批判された.大乗仏教というのはでっちあげだというわけです.パーリ語の経典で説く釈尊の原始仏教というものは,全く現実的な合理的な教えであって,神秘的な救済を説くものではないんだということが,一時非常に言われた.そしていわゆる合理的な原始仏教,根本仏教だけが釈尊の教えであって,神秘的な大乗とか密教とかいうものは,仏教じゃないんだというようなことを言った時代がございました.しかしもうそれは,学問的に過去のものなんですね.むしろ神話的なものの中に深いものがあるということが徐々に分かってまいりますと,大乗仏教とか密教とかがかえって,釈尊自身の教えの真実を明かすものであるというものが見えてくる.今はそういう時代ですね.それと全く同じように,ゾロアスターの伝説と,ゾロアスターの史実というものが,私のなかでは徐々に接近していった.今後は,そういうことも含めて,ゾロアスターやゾロアスター教ということをお話し申し上げたいと思っております.

 それと,これはもっと現実的な問題なんですけれども,世界的にインド経済というのが現在,非常に注目されております.ところがインド経済を実質的に担っている人々の中枢にいるのはゾロアスター教徒なんですね.ものすごくマイノリティなんですけれども,彼らは絶大な力を持っています.有名なタタ財閥なんていうのもそうですけれども,それに限りません.このゾロアスター教徒の力というのが,インド経済の中でどれほど大きいものであるかということは,意外と知られていない.そして,その彼らの経済力を持つに至った背景にあるのは,単に彼らがマイノリティで,一生懸命やったというだけじゃないんであって,やはりそこに,ゾロアスター教の精神的なバックボーンというのが,あるわけなんです.で,そういう彼らの精神的なバックボーンを理解するためにも,ゾロアスター教というものを知っておくのは無駄ではないのです.以上が今回ここで私がゾロアスター教というものを,お話しする意味なんです.

 しかもその講演を横浜でやろうというのは,それなりに意義深いことだと思っております().横浜という土地は,実はゾロアスター教に非常に縁がある土地なんですね.ここの外人墓地の中にもゾロアスター教徒の墓というのがあります.ちなみにゾロアスター教徒もこの頃は鳥葬ということをやりません.ゾロアスター教徒でも地下に埋めたりして,お墓も造ります.そして外国にいる時は鳥葬ができないわけですから,その土地にお墓を造ったわけです.そのお墓がございます.それだけでなく,明治時代に横浜で大きなドッグを造った時には,ワディアというゾロアスター教徒の財閥が関係していたり,日本郵船にタタの先々代が関係していたとかですね,ゾロアスター教徒は随分横浜の事業に見えないところで,いろいろ貢献しているのです.そういうことも含めまして,この縁のある土地でいつかはゾロアスター教の話しをしたいと思っていたのが,このような形で実現できたことは,私自身も非常に嬉しいことだなと思っております.前置きはこの程度にいたします.

 

():この講演は,20074月に横浜で行われた.

 

 

 

 

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