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ゾロアスター教入門

 

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ゾロアスター教入門 (3)

 

 それで、そこからなんですけれども、インドもイランもですね、アーリヤという言葉を自分たちが使う時に、どのような意味を持っていたのか。実はこのアーリヤという言葉はですね、そもそも語源は何なのかというのがはっきりしない。これは大問題なんです。諸説があって、はっきりしない。かなり有力な説では、これはアリという言葉からきたという。アリというのは客という意味です。自分たちの外から来たという意味ですね。だからマレビトみたいなものです。また敵という意味にもなります。これはティーメという有名な言語学者が言ったんですけれども、ま、これも一つの説であって、はっきりしない。しかし、語源がどこにあるかということは、はっきりしないんですけれども、インドにおいてもイランにおいても自分たちがアーリヤと言った時に、そのアーリヤという言葉に込められた意味というのは、これは確定しているんです。気高いということ、Nobleだということなんです。ノーブルだということで使うんですね。だから先ほど言ったような聖人の聖とか。聖観音の聖とかいったものになるわけなんです。そのように彼らは自分たちを気高いものだという。プライドを持っているわけです。そこでアーリヤという言葉を使うわけですね。

 そして、そのアーリヤの故地、ゾロアスター教の場合はアールヤナワエージャフといういい方をしますけれども、先祖がいた自分たちの故郷、この思い出というものが神話の中で語られております。そういう意味からも、やはりアーリヤという言葉を、我々は避けては通れない。またそれを避けてはゾロアスター教を語れないんです。つまりゾロアスター教はアーリヤ人の宗教ということを自ら主張してきたんです。現在における彼らの入信式でも、それを知らないと理解できないものがたくさんございます。ゾロアスター教というものを見ていく時には、そうしたことを考える必要があるんだということをお話し申し上げたわけなんです。

 次にゾロアスター教を宗教だと考えることの意味です。我々は宗教というと、すぐ個人的なものと考えるんですね。宗教の自由、信仰の自由なんてことを、我々は当たり前のこととしている。ところが宗教が個人のものという考えは近代になってからなんですね。極端ないい方をしますと。長い歴史の中において、ゾロアスター教の場合はだいたい3000年の歴史がございますけれども、ゾロアスター教に限らずですね、古い宗教の場合は個人の宗教ではないんです。共同体の宗教なんですね。日本でも神道なんていうのはそういう宗教だった。共同体にはいろいろあるんですけれども、大きなもので代表的なものは民族ですね。民族共同体なんて、国家を論じる場合にいろいろいわれますけれども。宗教というものは本来個人のものではなく、そうした共同体のものなんですね。だからゾロアスター教はアーリヤ民族の宗教なんですね。これが重要なんです。

 ここでさらに補足しますと、そもそも民族というのは人種と違うんです。人種というのは生物学的な観念です。つまり血のつながり。ところが民族というのは文化的な観念なんです。つまり文化を共有する、そうするとこの文化の共有の中で、代表的なものとして、一つは神話もう一つは言語が重要になる。この神話と言語の共通性ということから、一つの民族というものが特徴づけられるんです。また逆に言えば、民族精神というものが具体化し、表現されたものが神話であり、言語であって、それらに基づく文化であるというようなことになります。従って、まずアーリヤ人を論ずる時も、神話と言語を見なきゃいけないんです。そして神話と言語というのは非常に密接なんです。そこで彼らの持っている神話と言語というものに着目しながら、アーリヤ人の精神構造、アーリヤの精神世界というものを我々はまず見ていくことにいたしましょう。そしてそういうアーリヤ人の持っている精神世界というものを理解した上で、ゾロアスターというものを我々は見ていけば良いわけです。

 まずイランという言葉は何処からきたのかという事についてお話ししましょう。これはアーリヤから来たんです。これが中世ペルシア語になって、エラーンという形になるんです。エラーン、これがイランになるんですね。アーリヤ、エラーン、イラン。イランという言葉は実はアーリヤということなんです。ところで、イランはかつてはペルシアといったんですね。ペルシアというのはこれは地方名を指しているんです。今のイランの南西部を指してパルス地方と言いますね。このパルス地方がペルシアという形になって、この国全体がペルシアといわれているんです。そして今はイランはイスラーム共和国ですけれども、以前は王制でした。その王制の時にレザー朝というのがありました。その最後の王朝をつくったレザー・カーンという人が、自分たちの国名をペルシアじゃまずいんだと言った。ペルシアじゃ一地方しか指していない。それに対して自分たちの国名として、イランの全土に通じるようなものを、ということです。そこで彼らの民族名であるアーリヤというのが選ばれる。これがイランというものなのです。

 アーリヤという言葉は実はアケメネス朝、アケメネス朝ペルシアとは一般にはいわれていますけれども、そのアケメネス朝ペルシアの王様自身が自分のことを、アーリヤチサと言っているんです。アーリヤ人の子孫、アーリヤ人の息子という意味です。これでないとイランの王様になれないんです。イランの王様であるということは、アーリヤ人でなければならない。またアーリヤ人であることは、彼ら自身のプライドなんです。アケメネス朝という古代ペルシアの帝王自身がもう、今のイランにつながるようなアーリヤという言葉を自称しているわけです。

 そして先ほど申しましたようなゾロアスター教の経典、すなわちアヴェスタですけれども、そのゾロアスター教の経典の中で自分たちの故郷のことをアーリヤ人の土地といっている。そしてこのアーリヤ人の土地は理想郷で、悪い奴もいなくて、世の中が非常に平和だったとされている。しかしだんだんそれが悪くなっていく。これは神話的な思考方法なんですね。神話というのは面白いことに、太古が黄金時代だったというのが非常に多い。その黄金時代からだんだん悪くなっていく。そして最後に悪くなった状態が頂点に来ると、ハルマゲドンが起きて、はじめの良き状態が回復されるというのが神話的な思考方法です。その良き時代、原初の良き時代に彼らが住んでいた土地のことを、アーリヤの理想郷として描いている。それをアールヤナワエージャフというんです。文字通りにはアーリヤ人の良き土地というような意味なんですけれども、そこにアーリヤという言葉が出てくるんですね。

 一方、そのゾロアスター教の経典、すなわちアヴェスタに匹敵するようなものがバラモン教にもある。すなわちリグ・ヴェーダです。そこにも、アーリヤというのが出てくる。つまりインドとイランの両民族は同一の祖先から別れたわけです。そこで言語的にも非常に似ている。ヴェーダの言葉、サンスクリットですけれども、それとアヴェスタ語というものとが非常に似ている。こういうところから、本来は彼らは非常に近い関係にあったが、もしくは同一であって、そこから二つに分かれてきたんだと考えられている。そしてその同一であったか近い関係にあった時、彼らは自分たちをアーリヤと言ったんですね。アーリヤというのは、彼らの先祖の、まさに思い出なんです。そして自分たちはアーリヤの子孫であると、インド人もイラン人も言うのです。そこに彼らのブライドがあり、自分たちの先祖の思い出があるわけです。このことを我々は理解しておく必要がある。

 さて、そのアーリヤの国が理想的な状態ではなくなってきた。アーリヤの国というか、アーリヤ人の子孫たちの住んでいる現状が、原初の理想郷から大きく隔たってきた。そこでゾロアスターの改革というのが生まれてくるんですね。アーリヤの伝承の中にある原初の良き時代を、もう一度回復しようという。で、回復するにはどうすればいいのか。その答えがゾロアスターの教えなのです。もしゾロアスターに、アーリヤの思い出というものがなければ、あのような宗教改革も起こってはこないんですね。これは非常に重要な点です。

 そういう当時の、つまりゾロアスターが出た時代のイランの状況というものは、良きアーリヤの理想郷たる状況と、かなり乖離していたんですね。ようするに、悪い時代なんです。悪い時代に初めて良き時代の思い出を持った人々がそれを改革しようとして出てくる。その代表がゾロアスターなのです。従って、ゾロアスター自身は新たな宗教を立てるというよりも、先祖の本来の宗教というものをもう一度回復しようという形で、出てくるんです。

 何か新しいものを立てようとか、新しいものをでっち上げようとか、今の時代の宗教家たち、正確には宗教屋と呼ぶべきですけれども、はすぐ考える。しかし真の宗教改革者というのは違う。例えばマルティン・ルターですね。マルティン・ルターも聖書にかえる。原点を問題にしてそこに帰る。そこに帰って彼ら自身の創意が出てくる。ことさら新しいものを勝手にでっち上げようというのでは、真の宗教改革者というのは出てこない。そういう意味からいうと、ゾロアスターはむしろ真の宗教改革者であり、彼はアーリヤ人の原点を追求しようとしたんです。

 そうするとアーリヤ人の原点にあるものが、何であるかという重要な問題にぶつかります。そして彼らの持っていた原初のものの中で、忘れ去られているもの、それ故にもう一度回復しなければならないものは何だったのかというのが問題になる。ここで最高神の問題。さっき言ったアフラ・マズダーの問題が出てくるわけです。彼はアフラ・マズダーという形で、最高神を立てましたけれども、このアフラ・マズダーというものは、本来は、何だったのかということは依然として大きな問題であるのです。しかしアーリヤ人の持っている宗教的な世界観の中に、これを垣間みるヒントがある。そこで、アーリヤ人の神話を見てみると、神様がいっぱいいるんですね。例えばバラモン教のリグ・ヴェーダなんか見て分かるように、多神論です。日本の八百万の神みたいに、たくさん神様が出てくるんです。ところがだんだんそれが整理されてくる。ヴェーダの場合は天・空・地という形に、三つに分けますね。三界に分けていく。天の神。地の神、それから天と地の間の空中の神、ということですね。例えば空中の神での神といったらインドラなんかそうですね。仏教に入ってくる帝釈天なんか、空中の神ですね。それから天の神ではスーリヤなんかがいますね。太陽神。それから地上の神として、アグニなんていうのがいますね。火の神。最後にまたそれを統一して一つのものになる。例えば、ブラフマンという統一原理である梵に深く関係しているフラジャーパティですね。たくさんいたものを、バラモン教の場合、統一していきます。だんだん一元論になっていく。で、同じようにイランの場合も、たくさんいた中から、ゾロアスターは最高神を立てる。ところで、インドの場合は、みんな融合してしまって、一つの中にとけ込むような世界観を創っていく。また一の中から発展していくような世界観を説く。しかしゾロアスター教の場合は最高神を立てて、その下に統一させるような、一種の軍隊組織みたいなものを創っていくんです。最高神がいて、その下に大天使がいて、さらにその下に一般の神霊たちがいるというような構図になっていきますね。一種のヒエラルキーを創っていきます。ごちゃごちゃしたものを何らかの形で統一する、統一の仕方がインドとイランでは違ってくる。イランの場合、一種のヒエラルキー、組織を考える。そしてその時にやはり、長になるもの、最高の位置を占めるものを創らなければいけないんですね。それがアフラ・マズダーなわけです。アフラ・マズダーの下に統一された宗教的世界を建てる。それをゾロアスターはやるわけです。それによって、ぐちゃぐちゃして混乱していた精神世界を再生していくわけです。そして、それが結局、我々の住む現実の世界の建て直しになるわけなのです。それがアフラ・マズダーというゾロアスター教の最高神の意義なのです。

 ():この講演は,20074月に横浜で行われた. 

 

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