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ゾロアスター教入門

 

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ゾロアスター教入門(4

 ところでゾロアスター以前のアーリアの精神世界の中で、既に重要な神様がいた。それは何かというと一つはヴァルナです。それからもう一つはミトラです。ヴァルナとミトラ、この二神が重要な神様なんです。ヴァルナ神というのは仏教を通して、日本に来ると水天になってしまうんです。東京の下町に、水天宮というのがありますね。けれども本来はもっと重要な神様で、天則を司る役割を持つ。宇宙とそれから自然、人間の社会、さらにバラモン教の儀式、これらを全て支配する法則を天則といいます。宇宙をモデルに儀式ができている。そして天の理というものに則って、人間の社会というものも構成されなければいけないわけですね。そういう根本的な法則を天則といいますけれども、これを司っているのが、ヴァルナという神様なんですね。そしてもう一つミトラという神がいます。これは契約の神だとか、友情の神だとかいろいろいっていますけれども、本来、ヴァルナとミトラというのは双神というかたちで非常に切り放ち難く結びついているんです。だから崇める時にもミトラーヴァルナーというようないいかたで両者を結びつけて呼びかける。先ほどいいました神話学者のデュメジルはアーリア人の神話の中で重要な、このミトラ・ヴァルナについて本を書いている。さて、このヴァルナとミトラ、いろいろ解釈は別れるんですけれども、両方とも天空の神であったということは、大体一致しております。天空の昼の面をだいたいミトラといったんだろうといわれていますね。それに対して夜の天空をヴァルナといった。確定はできないんですけれども、非常に有力な説です。天空を昼と夜に分けて、ヴァルナとミトラに割り当てたわけです。そしてゾロアスターは、このヴァルナの方を採ってミトラの方を無視するんです。いわゆるアーリア人の最高心的な位置にあった双神の中から、その一方であるヴァルナ神を採り上げて、それをアフラ・マズダーという言い方にした。

 それではなぜヴァルナと呼べばいいのに、そういわなかったのか。これが問題なんですね。おそらくそこにあったのは、名前を呼ぶということはその者を支配するという観念があったからだと考えられています。古代人や未開人の間では、本当の名前を知られるというのは怖いことで、人には名前を知らせてはいけないというような風習もあります。インドの場合も、生まれた時の名前で坊さんや親だけが知っている名前と、一般に通用している名前を区別しますね。命名式の時に区別するんです。このようにヴァルナという名前は秘密であって、これは公には言わない。従って一般的な「智恵ある主」すなわちアフラ・マズダーという言い方で、そのヴァルナ神を指していたわけなんです。

 次になぜミトラというものをゾロアスターは無視したのか。アヴェスタの中で、ゾロアスターの直説と言われる部分がガーサーといわれているんですが、そのガーサーには、ミトラという名前は出てこない。ところが後になってきますと、アケメネス朝とかササン朝になってきますと、ミトラ神というのはゾロアスター教の神様のようにいわれている。アヴェスタの中にもミスラという神を崇める長文の讃歌がございます。このミスラはミトラのことです。それにも係わらず、ゾロアスター自身はミトラ神をまったく無視したというか、切り捨てているんです。これはどうしてなのかということですね。これは非常に重要な問題です。それは多分こういうことなんです。

 アーリア人の中にミトラというものに結びつく、一種の男性結社の伝統というものがあった、と考えられる。古代のアーリアの古い時代に、すでにインドとイランに別れる前に、男性結社の伝統というものがあって、そこでは成人式をする時に、男が乱痴気騒ぎしたりお籠りして苦行したりということがありました。現代でも成人式の前に暴走族が騒ぐようですけれども、そういうような男たちだけの結社的な集まりがあって、成人する時に特殊な試練を通過させるわけですね。これはある場合は戦争だったり、異常な苦行だったりいろんな形があるんです。そういう男の結社の中で、ミトラ神というのは特別に祀られていたようなんです。

 それだけならいいんですけれども、その男の結社が一種の通過儀礼といいますか、結社員として認められる時に、非常に不道徳な乱痴気騒ぎ的な、ある意味では犯罪的な行為に結びつくようなことをやった。宗教学的には、いわゆるオージーといいますけれども、聖なるものと俗なるものの境界を越える際に見られる現象です。その聖俗の分け方、宗教学的な聖俗の定義は、アーリアを気高いというような意味でいう言い方とはちょっと違っているのです。実は聖というのは俗という日常秩序を一度ぶっ壊さなければいけない。これが祭りの次元であるわけです。つまり乱痴気騒ぎをしなければいけない。それが祭りなのです。ところがその祭りはいつまでもやっているわけにはいかない。だから8月の何日とか9月の何日とか決めて、しかも場所は境内のここだけとか決めておく。そこで乱痴気騒ぎをやるわけです。空間、場所を区切っている。しかもそれが済んだら、つまり祭りが済んだら一般の日常秩序に戻る。こういうものが宗教学的な聖俗なんです。ミトラというのはこのようなことに関わっているわけなんです。宗教学的にいうところの聖なる部分に非常に関わっている。ミトラ神を祭ることによって、男たちは戦争をやったり、日常の秩序を逸脱するような、いろんなことをやったりする。一種のカオスの状態、秩序という日常のコスモスに対するカオスの状態を創って、そのカオスの状態の中で、非常に狂暴ないわゆるマッチョ的に振る舞うわけです。現代でも、暴走族が沖縄で暴れるみたいなものですね、ああいうようなものを連想したらいいと思うんです。それとミトラ神の男性結社が非常に深い結びつきがあって、ゾロアスターはそれを嫌ったんですね。つまりゾロアスターは日常的な倫理を非常に重視する人で、オージー的な要素を非常に嫌う人であるわけです。

 祭りにもいろんな祭りがありますけれども、ゾロアスターが祭りを嫌ったというのは、カオスを創るような、お祭り騒ぎを斥けただけでなく、別の意味もある。すなわちゾロアスターは、バラモン教と違って、儀礼を非常に簡素化するんです。バラモン教というのは、日本の密教なんかにも影響しているんで、ご想像されれば分かるように、非常に煩瑣な儀礼が多いですね。いろいろシンボリックな意味があるんですけれども、ややこしい儀礼が多いんです。ところがゾロアスターはそういうような煩瑣儀礼というものを嫌うんです。彼はカラパン僧という、バラモン教的な人たちのことを軽蔑する。カラパンというのはですね、ようするに儀軌に則って、煩瑣なお祭りをやる人たちなんです。こういうような一種の魔術的な行為というものを彼は嫌って、いわゆる倫理的な、またある意味では現実的なものの中に、自分の宗教的理想というものを実現していこうとします。つまり坊さん的な世界ではなく、日常的な世界の中に宗教というものを実現していこうとします。これはゾロアスター教の大きな特徴なんですね。後になるとマギというものが活躍して、ゾロアスター教の中でも儀礼的な要素が強くなっていきますけれども、しかし根本は変わっていない。バラモン教的なシンボリックな世界に行ったきりにはならない。現実の日常生活というものをどこまでも重視していく。政治的、社会的、経済的なものを重視します。必ずそこに戻ってくるんです。これはゾロアスターの時代からそうなんです。

 これがちょっと違った形になって、いわゆる大乗仏教へのゾロアスター教の影響として出てくる。大乗仏教というのは在家の思想なんです。出家のものではないんです。儀礼的なのは坊さんたちのものなんですね。この出家の世界と在家の世界、そして日常の秩序の世界とお祭り的な聖なる世界というものを対立させると、ゾロアスターはあくまでもこの日常の秩序を重んじ、そして聖職者よりも、一般の社会の中での俗人の生活を大切にする。この姿勢は現代のゾロアスター教徒であるパールシーの中にも継承されています。この原点を創ったのがゾロアスターという人物なんです。彼はそういう姿勢でアーリア人の持っていた理想を回復していこうとしたわけです。

 で、個々でもう一度元に戻りますが、そういうゾロアスターの理想を実現していくためには、共同体の問題が非常に重要なんです。現代において我々が宗教を語るように、それを個人次元で見てはいけない。そして宗教と政治の問題ですね。我々は宗教というものを、政治と切り離します。宗教と政治とは別のものだと。政治は宗教に介入すべきではないと。そういう考えを当たり前のように主張します。しかし古代や中世においては、宗教と政治はごく親しい関係にあった。ある意味では両者は一体なんです。祭政一致というようないい方をしますけれども。このことを理解しないと、ゾロアスター教というものを真に理解することはできない。それはゾロアスター教というのが、常に国家と結びついていたからです。ペルシア帝国というものと結びついている。アケメネス朝でも、ササン朝でもそうだったんです。これを抜きにして、個人の宗教であり政治と宗教は別のものだという考えでいくと、どうしても理解できないものが出てきます。ゾロアスター教というものが現代とは別の、やはり古い形の宗教であるということを、まず知る必要があるわけです。そのためにはやはりペルシア帝国すなわち、アケメネス朝とかそれからササン朝、そしてパルティアなんかもある意味でそうなんですけれども、そういう古代のペルシア帝国の正確を知る必要がある。これを理解しないとゾロアスター教というものは理解できないんです。こういうことで、我々は歴史を振り返ってみていかなければいけないんです。

 で、まずアケメネス朝です。アケメネス朝はキュロスという人が建国するんですけれども実はゾロアスター教が表に出てくるのはダリウス大王の時からなんですね。このダリウス大王の時に、ゾロアスターの思想というものが、ペルシア帝国の理念を示すものとして出てくるんです。政治的な一種のイデオロギー的なものも含めて、ゾロアスター教的な思想が前面に出てきます。ゾロアスター教によって王朝というもののバックポーンが形成されていくとも言える。つまりゾロアスター教が非常に大きな影響を占めながら、古代ペルシア帝国が形成されていく。そして同時にゾロアスター教は民族宗教の次元から、国家宗教になっていく。これは非常に重要なことなんです。アーリア人の民族宗教、そこにゾロアスターという人が出て、宗教改革が生じる。そしてダリウスが現れて国家宗教という形になる。ところが、これも重要なんですけれども、アケメネス朝やササン朝は、我々日本人が想像するような一民族一国家ではないんです。世界帝国なんです。現代のアメリカが帝国かどうかは別としまして、真に帝国というものの原形はまさにアケメネス朝なんです。そこで、帝国ですから、諸民族が入って、いろいろな文化が存在しているわけです。その他民族の中の頂点にいるのがイラン人であったわけです。

 そして当時のオリエントというのは、文化的に最先端の地です。アケメネス朝ペルシアは、その前にあるエジプトやメソポタミアのアッシリアとかバビロニアとかいうような、先進国の文明の地域に建設されるわけです。さらに民族的にも、例えばアッシリアなんていうのはセム系ですし、エジプトは問題がありますけれども、これはハム系といわれるもので、アーリアとはまた違う人たちです。こういう異民族の先進文化というものも、ゾロアスター教に非常に大きな影響力を与えているんですね。それゆえ、アーリアの枠の中だけでゾロアスター教を見れなくなってくるんです。いわゆるゾロアスター以前のアーリアの民族宗教と、このペルシア帝国の国家宗教とは、少々視点を変えて見ていく必要がある。例えば有名なゾロアスター教のシンボルである有翼円盤図、太陽神の円盤に羽のついたやつですね、これはいわゆるホルスという王権守護神に結びつく、エジプトの太陽円盤の継承だと考えられる。またシャマシュという、太陽神とも関係するとする説もある。こういうメソポタミアやエジプトのシンボリックなものが、そのままゾロアスター教の中に継承されていく。それとアーリア本来のものが共に入っている。そしてこの二つの面からアケメネス朝のゾロアスター教というものを見て、そこでゾロアスターやダリウスという大天才がいかなる位置を占めるのかということを考えていくべきなのです。

 最後にもう一度いいます。アーリアという民族、ゾロアスターという人、そしてもう一つはペルシアという帝国、この三つの要素から見ていくことがゾロアスター教というものを理解する時に、大切なことなのです。

(以上は2007年の春の講義を抄録したものです) 

 

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