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ゾロアスター教入門

 

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ゾロアスター教入門(5)

 今日はアケメネス朝ペルシア帝国とゾロアスター教の関係について、前回の復習も含めながら、さらに詳しくお話ししたいと思います。ご承知のようにゾロアスター教というのはイスラム以前のイランの宗教だと一般にいわれている。具体的にはアケメネス朝ペルシア、それからササン朝ですね。そのササン朝の前にアルサケス朝というのがございますけれども。さて、そのアケメネス朝は全4世紀の後半に、アレクサンダーによって滅ぼされます。そしてその後に、いわゆるアレクサンダーの後継者たちが帝国をいくつかに分けて、それぞれ統治いたします。大体イランにあたるところはセレウコス朝シリアというのが統治するんですけれども、それもあまり長く続きませんでした。その後にイラン系の遊牧民族に起源をもつといわれる、アルサケス朝パルティアというのがイランを統治いたします。この統治は紀元前と紀元後に渡って非常に長い間続きます。だいたい500年近く統治するんです。しかし、この時代は不思議と資料がないんですね。まったくないわけではないんですけれども、イラン側の史料というのは極端に少ない。で、アルサケス朝パルティアに関する史料はローマ側の史料、ローマとパルティアというのはしょっちゅう戦っていましたんで、ローマの史料があります。それともう一つはですね、中国の史料、漢文の史料がございます。安息国と申しますけれども、安息ですね。安息国に関する史料は、中国の文献の中に結構ございます。特に仏教が中国に入る時に、安息国の役割というのが非常に重要になってくるんです。いろんな面で。安息国の人たちのことが、書かれております。大唐西域記なんか見ても、いわゆるシルクロードの向こう側のことが書かれていますけれども、その中に安息国のことがある。この安息国というのはアルサケスというわけですから、パルティアを指しています。

 それに反して本家のイラン側の史料というのは極端に少ない。そこで昔のイランでは、アケメネス朝ペルシアの後は、外国によって支配され、この外国の支配をひっくり返して民族の国家というものを復興したのが、ササン朝であるといわれてきたんです。いわゆるイラン文化のルネサンスというわけです。こういうわけでアルサケス朝というのは無視されてきた。ところが近代になって、歴史学というのは進歩してきますと、このアルサケス朝パルティアというものが、非常に重視されるようになってきました。そして、一度滅びたゾロアスター教をササン朝の時代に国教にまで盛り立てるようなことができたのは、実はそのパルティアの時に準備されていたんだというような見方が有力になってまいります。それから現存しているアヴェスタについても、これの元になるものがパルティア朝の末期あたりに準備されていたんじゃないか、というようなこともいわれております。しかし確証できるものは何もないんですね。現在でもゾロアスター教の歴史を語る場合、パルティアというのはミッシングリンクなのです。

 さて一般にパルティアの時代というのはどういう時代かというと、フィルヘルネという言葉を、パルティアの王たちが非常に良く使うんです。フィルヘルネという言葉は、どういうことかというと、ギリシアを愛する人、ギリシアの友ということです。そういうことから、パルティアの国内には、ギリシアの悲劇を上演する円形劇場もあったし、さらにパルティアのコインつまり貨幣ですけれども、初期においては殆どギリシア文字で書かれているんです。こういう面から、パルティアというのはヘレニズム、ギリシア文化の影響が非常に強くて、イラン固有のゾロアスター教というものはあまり優遇されなかったんだろうと、一昔前にはいわれていたんです。しかし、どうもそうではないらしい。むしろパルティアの時代にイランの宗教が再編されて、いわゆるシンクレチズムともうしますけれども、ヘレニズムを中心とする文化と習合して、高度な形に洗練されたゾロアスター教が成立した。そういうゾロアスター教というものがササン朝時代に表に出てきた、というわけなのです。

 このことは今後のいろいろな研究に待つ面が多いのも確かでございますから、一応そういうような事情を知った上で今回は、アケメネス朝、さらにササン朝ということを中心にしながら、お話しさせていただくことにいたします。

 そこで先ずアケメネス朝です。このアケメネス朝というのはイスラム以前のイランの原型と考えられます。そして、ある意味では、イスラム以後もアケメネス朝の影響というのはかなり見られるんですね。帝国統治の方法においては、アッバース朝というものがそうです。イスラムに入ってからの、一昔前はサラセン帝国何ていう言い方もいたしましたけれども、こういう帝国。さらには東ローマ、ビザンチンですね。これなんかにもササン朝を経て影響を与えていく。いわゆる帝国統治の源流はアケメネス朝にある。さらに始皇帝の秦もそう言えないことはない。またインドのアショーカ王、仏教で有名なアショーカ王の統治にもアケメネス朝の影響が非常にある。そういう帝国支配の原型というものを確立したところのアケメネス朝なんですけれども、そのアケメネス朝の国教的存在として、ゾロアスター教というものがあった。しかしそのアケメネス朝の宗教が、果たして真の意味でのゾロアスター教なのかどうなのかというのが、大きな問題なんです。

 さて、いわゆるペルシアは、以前にも申しましたように、地名を指している言葉です。つまり南西イラン地方を指している。で、アケメネス朝はその南西イランを出身地とする人々が、王朝を開いたことによって、南西イランの地方名であったペルシアが、帝国を代表するものとして使われるようになった。これに対してイランというのは民族名のアーリアから来た言葉であるわけなんですね。従って今はイスラム・イランですけれども、その前のレザー朝の時に、ペルシアという名前をイランに改めたわけです。それまではペルシアといって、一般にイランは区別しないで使っています。しかし厳密にいえば、一方は地方をさす空間的な名称、そしてもう一方は民族をさす名称で、同じものではございません。

 さらに、昔のペルシアとかイランとかいうものを、我々の考えているような今のイランと同じだとすると、誤りなのです。アケメネス朝を考えるときもそうです。もちろん今のイランというのはアケメネス帝国の中心的な部分を占めている。しかしアケメネス朝の空間というのはそれよりも遥かに広いんですね。中央アジアまでも含んでおります。また小アジア、トルコですね、そこら辺も含んでいる。さらにエジプトの一部も含んでいるということで、遥かに広い空間を占めていたわけですね。インドの西部までかかっている。そういう広大な空間を占めていたのがアケメネス朝ペルシア帝国なのです。それを頭においた上で、その文化というものを見ていかなければいけない。空間的に今のイランだけを頭において、時間的に昔に溯ってもだめなのです。

 で、アケメネス朝というものは、キュロスという王によって先ず作られるんですけれども、この時はゾロアスター教が、あまり表面に出ていないですね。いわゆるゾロアスター教が表に出ていない。キュロスは、メディアを倒して、アケメネス朝ペルシアを作るんです。王女メディアで有名なメディアですけれども、これもイラン系の民族です。北西部を根拠地とするイラン系の民族です。この時にキュロスはあまりイラン固有の宗教というものを表に出さなかった。これは帝国統治の政治的な理由によるんですね。帝国を統治する、今いったような広大な地域を統治するためには、そうしなければならなかった。そこにはセム系の民族、アッシリアとかバビロニアというようなものの子孫、ユダヤもそうですけれども、そういうもの、さらにエジプト系の人々もいる。こういうように広大な地域に多種の民族がいる時に、一つの民族の宗教、イデオロギーでもって律するということは非常に無理がある。それ故、暴力的な圧政に通じる可能性も出てくる。それは非常にまずいわけですね。特に初期においては、帝国が安定しておりませんから、うまくいく可能性は少ないわけです。

 こういう時にキュロスという王は寛容な政策を採ります。少なくとも文化的には非常に寛容な政策を採る。そしてそれぞれの民族の宗教というものを認める。その一つの例がバビロン捕囚からユダヤ人を解放したことです。キロという人名で、聖書に出てきますけれども、バビロン捕囚からユダヤ人を解放したのは、ペルシア帝国をつくったキュロスですね。そして、彼らの神殿、ユダヤ人の神殿を再興することを許した。従ってユダヤ人たちは、キロ大王、キュロスを理想的な君主として描き、感謝しております。しかし彼はユダヤ人だけをそのように優遇したのかというと、けっしてそんなことはない。むしろユダヤ人を苦しめた捕囚のその張本人である、バビロニアの神のマルドゥークを、彼は非常に尊敬しているというか、尊敬しているように装っております。自分を王という地位に押し上げてくれたのは、そしてバビロンという都市を占領できたのは、まさにこれはマルドゥーク神のかごのおかげであると、彼は言っております。そうしますとバビロニアのマルドゥーク神、このようなものも、彼は形の上では尊敬しているわけです。

 この前お渡ししましたキュロスのフラワシといわれる図ですけれども、これは一般にキュロス帝の守護霊だといわれているものです。ペルセポリスの近くのパサルガダエというところにあるキュロスの墓のそばにある。これはキュロスをモデルにした守護霊だといわれていますけれども、よく見ますと、頭のところに、髪飾りがあります。これなんかはエジプトのものですね。エジプトの神像に関係している。そして羽がある、これはアッシリアの精霊のものです。つまり、この像メソポタミアとかエジプトとかいろいろなものを、ごった煮したようなものですね。ゾロアスター教だけをボーンと出すわけではない。つまり有名な有翼円盤と申しますけれども、羽のついたアフラ・マズダーの像を出してきていないわけです。こういうことでキュロスは、確かにアケメネス朝を作ったけれども、当時はゾロアスター教というものは表に出ていない。

 ところが三代目のダリウス大王になりますとですね、がらっと変わってくるんですね。まさにそれはゾロアスター教帝国といわれるようなものに相応しいものになっていく。で、何故そうなったのかというところから、お話し申し上げたいんです。はっきり分かっていることは、ダリウスは反乱を鎮圧して帝王になるんです。いわゆるマギのガウマタという人がいたんです。仏教のゴータマ・ブッタに比べられるとかいろんなことをいっている人たちもいますけれども、取りあえずその聖職者出身の反乱者を鎮圧している。マギというのは、後にはゾロアスター教の聖職者を指すんですけれど、それとどういう関係があるのか、というのも非常に大きな問題なんです。どうもガウマタは聖職者ではあっても、反ゾロアスター教的な、むしろゾロアスター教以前の、メディアのいろいろな影響があるのではないかといわれています。つまり東イランというよりも西イランの方につながる。しかし、もう一つはっきりしません。しかしガウマタは聖職者の出身ではあるんです。聖職者の出身で、いわゆるゾロアスターの教えを信ずるグループとは違うタイプですね。これが反乱を起こすんですよ。その反乱を鎮圧して出てきたのがダリウス大王なんです。しかも彼は、アケメネス家の中では傍系に属するんですね。キュロスの直系ではないんです。キュロス、カンビュセスというような直系ではないんです。そういう面から、彼が王となるにあたっては、その正統性に対して、意義がなされる可能性があったといえます。そこで彼は先ず、自らの王権の正統性を主張するための根拠を求めなければいけないわけですね。この根拠となったのが、ゾロアスター教というよりも、具体的にはゾロアスター教で最高神とされるアフラ・マズダーなわけです。自分はアフラ・マズダーという神の権威の下にこの帝国を統治する。しかもそのアフラ・マズダーというのは正義の神である。つまり正義の名において、この帝国を統治するんだという、そういうところに彼は正統性の根拠を求めていったのです。

 それと必ずしもこれは確証はないんですけれども、有力な説の一つとして、どうもダリウス大王の父であるウィシュタースパという人は、ゾロアスターのパトロンではないかといわれています。その本人であったか、その何代か前であったか、それは分からないんですけれども、どうも東イランの有力者で、ゾロアスターに帰依して彼を支援した人々がいた。この東イランの領主の血をダリウスが引いているんだというような説があります。これはしかし確証がない。いずれにしても彼自身は、ゾロアスター教の最高神であるアフラ・マズダーを表に出していくんですね。これで後々まで、アケメネス朝ペルシアはゾロアスター教であると言われるわけです。ダリウス大王はビストゥーンなど、今でも残っている磨崖の碑文に楔形文字で自らの業績をいろいろ書いている。そこで彼は、私はアーリアであると強調している。そして自分がアケメネス朝の系統であるということを盛んに言っている。これ正統性、いわゆる血の問題です。

 実はイランというのはですね、日本の天皇制もそうですけれども、血というものを非常に重んじます。イランでは今シーア派と言われていますね、イスラム教の場合、スンニとシーア、何処が違うんだといろいろ言われますけれども、一つはですね、シーア派というのは血の問題を非常に重んじる。アリーという四代目カリフと、ムハンマドの娘が結婚してできた子をフサインといいますけれども、彼をスンニは虐殺したということで非常に恨む。しかし、もともとそこにあるのは、血の正統性の問題です。この血の正統性ということ、赤い血の血の正統性ということをイラン人は古来から非常にこだわっているんです。そういうことからダリウスは、アケメネス朝の血を引いているんだというわけです。そしてそのアケメネス朝というのはアーリア人なんだという。アーリアの血、アーリアというのは神聖な民族であると彼らは非常に意識しておりました。そして彼らの故郷をアールヤナワエージェフといいます。アーリア人の土地ということで、常にアーリアということを彼らは意識していますね。神聖な土地と、神聖な血を持ったものであるというわけです。

 しかしそれだけでは、先ほども申しましたように、ダリウスは王朝の直系というよりも傍系に属すんで、正統性の根拠が弱いわけです。そこでさらに付け足したのが、アフラ・マズダーのかごなんです。アフラ・マズダーの加護によって、アフラ・マズダーの意志によって、自分は王であると。これはダリウスのまさに専売特許なんですね。アフラ・マズダーが欲せられたから、アフラ・マズダーがそのように望まれたから、私はこの王国というものを統治するんだ、とこういうわけです。しかもその統治は正義によるものである。ここではアルタと申しますけれども、ゾロアスター教でいえばアシャですね。アシャというのはアヴェスタ語で、古代ペルシア語になるとアルタという風になります。そしてインドのサンスクリットと申しますか、ヴェーダの言葉ではリタという言葉になります。アルタ、アシャ、リタこの三者はほとんど同じ意味です。すなわち宇宙の大法則であり、同時に正義である。その正義によってダリウスは王国を統治する。それに対してドゥルグと申しますけれども、虚偽がある。嘘とか虚偽とか、不真実とか、いろいろ訳しますけれども、ようするに邪悪ということです。この嘘つきな悪人たちを滅ぼして、自分は正義の帝国を建てた。というのは、先ほど言った反乱者たちを鎮圧したことを指しています。こういうことを彼は、自らの業績を記した碑文の中に、何度も書いております。そこで先ずアフラ・マズダーという言葉が出てくる、次に真実と嘘、正義と邪悪の二元対立がある。まさにそれはゾロアスターの教えそのものではないか、というわけです。かくてペルシア帝国の宗教はゾロアスター教であることになる。

(以上は2007年の春の講義を抄録したものです) 

 

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