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ゾロアスター教入門

 

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ゾロアスター教入門(6)

 ところが、ゾロアスターという名前が出てこない。ゾロアスター教であれば、その開祖であるゾロアスターという名前が出てきてもいいのに、出てこない。次にゾロアスター教という限り、神と同時に悪魔アンラ・マンユの存在を忘れてはいけない。神アフラ・マズダーに対して悪魔アンラ・マンユ、後世のアーリマンですけれども、この神の敵対者が出てきていない。それからさらにゾロアスター教において重視される、フラワラネーという信仰告白もない。これは一つの決まった形があるんです。それがない。自分がゾロアスター教徒である。そしてそれによって何かした。そしてアフラ・マズダーの加護を得て、成功したというようなことを言うんであれば、必ず自らの信仰告白的な部分に触れていなければいけないんです。その決まりきった文が見出せない。またゾロアスター教の場合は、アフラ・マズダーという神の下に、キリスト教でいえばアークエンジェルですね、すなわち大天使的なアムシャ・スプンタという、または七柱の存在があって、非常に重要な地位を占めている。ゾロアスター自身の教えの中でも、それは明らかなのです。ところがこのアムシャ・スプンタという大天使に関する記述は、ダリウスの碑文では全く見られないのです。これが意外なんです。ゾロアスターという名前もない。信仰告白に関するものもない。悪魔アンラ・マンユもいない。大天使もいない。このようにゾロアスター教において大切なものが、いくつも抜け落ちている。

 もう一つ重要なのは、ゾロアスター教で神をいう場合、ヤザタという言葉を使うんですね。祭られるものという意味です。ところがヤザタという言葉の代わりに、アケメネス朝の碑文ではバガという言葉を使っています。このバガという言葉は、ゾロアスター教の中で使わないわけではないんですけれども、どちらかというと、ゾロアスター自身はこのバガというのをあまり好んでいないのです。むしろ後々、ゾロアスター教がいろいろと変化して参りますと、ゾロアスター自身が一度は否定したり、無視したりしたものが、再び入り込んでくるのです。例えばミトラすなわちミスラ神の信仰、それからアナーヒターへの女神信仰、そして最も顕著なのにハオマという一種の薬物の使用がございます。これをゾロアスター教のお祭りで用いる。これらはゾロアスター自身がむしろ無視したり、禁止した部分なんですね。ところが後になってくると、それがゾロアスター教の中に入り込んできます。これはダリウス大王が鎮圧したマギが、すなわちある面ではゾロアスターの教えとは違った傾向を持つ聖職者たちが、後になってゾロアスターのグループの中に合流してきて、ゾロアスター教のイニシアチブを取ろうとしたことに関係している。そして、それと時を同じくして、ゾロアスター自身が否定したもの、無視したものが復興して参ります。

 そうするといくつかの点で、アケメネス朝ペルシアの宗教は、果たしてゾロアスター教と言っていいのかどうなのかという疑問が生じる。しかし、先ほどいったような共通点もある。さらにゾロアスター教の二元論では、アシャとドゥルグの対立と共に、アフラとダエーワの対立がある。アシャとドゥルグ、すなわち正義と虚偽は我々の道徳的な世界での対立ですね。そして我々の倫理的な世界に対応するものとして、神々の世界、霊の世界があり、そこにアフラとダエーワの対立がある。そのアフラは仏教では阿修羅と呼ばれます。インドのアスラや仏教の阿修羅という、闘争ばっかりやっている悪い奴だというイメージがある。それに対して天というのは、インドのデーヴァですが、現世利益を与えてくれるものである。弁財天とか、聖天とか毘沙門天とか、いろいろいますけれども、こういう天というものは非常に好まれる。それに対して阿修羅は嫌われるというように。しかしイランの場合、ゾロアスターの場合はまさに反対なんですね。いわゆるアフラとダエーワ、阿修羅と天というのは元々アーリア人の神々なんです。両方とも。どちらも甲乙なかったんです。しいていえば、アフラの方が地位が高かった。

 これはどういうことかといいますと、アフラもしくはアスラは形而上な性格を有する神であって、倫理的なものと関係し、つかみ難いんです。非常にとらえ難い神なんです。これに対してダエーワとか天とかいうのは、すなわちインドではデーヴァと申しますけれども、これは非常に現世利益的な、親しみやすい神だった。こういうところから、インドにおいては現世利益的な、天の系統、デーヴァの系統が非常に重視されます。けれども、イランの場合はむしろ逆で、アスラすなわちアフラの道徳的なものを重視したのです。それがゾロアスターの大きな特徴なんです。そのいわゆるゾロアスター教の二元論、すなわちアシャとドゥルグの対立、そしてアフラとダエーワの対立、それがそのままダリウスの碑文の中に、確実に見られる。その価値観はまさにゾロアスターが主張したものなんですね。まさにその価値観において、ゾロアスターとダリウスは全く同じなんですね。こういうところから見ると、中核思想ではダリウスはゾロアスターと同じであり、そしてダリウスは、その二元的な価値観に基づいて帝国を統治していったといえるわけです。

 学者の中にはアケメネス朝の宗教をマズダ教と呼んで、これをゾロアスター教とは区別すべきだと主張する人たちもいます。しかし区別する必要はないと、言う人たちもいます。しかしマズダ教とゾロアスター教を単なる学者の区別としておくことにも問題があります。なぜならゾロアスター教という名前は、外部の人たちは使いますけれども、古い時代の信者たちは、ゾロアスター教を自らの自称として使うことはないからです。どういう名称を使ったかというと、マズダ・ヤスナというのが一つですね。マズダ・ヤスナというのはマズダを崇めるものということです。もう一つはウェフ・デーンですね。ウェフ・デーンというのは善き教えという意味ですね。ゾロアスター教というような名前は、あまり使わない。ところが外部の人たち、例えばイスラム教徒の人たちは、ゾロアスター教徒を指してザルトゥシュトという。いわゆるゾロアスターの徒といういい方をします。これは仏教でもそうですね。釈尊が、ゴータマ教といったことはないんですね。そういう意味からすると、マズダ教とゾロアスター教とを区別することは、信者自身はしていないんです。それを学者が区別して、アケメネス朝の宗教をマズダ教と呼ぶことができるのかといったことは、なかなか簡単ではないということを分かっていただきたいと思います。

 それともう一つアケメネス朝の宗教は、アルタクセルクセス二世の時に、大きく変化するんです。アケメネス朝の中でも、最初のキュロスの時の宗教、ダリウスの時の宗教、それから後のアルタクセルクセス二世の時の宗教で大きな違いがあるんです。同じものではないんです。このことを先ず知っておかなければいけない。確かにダリウスの宗教は、先ほど言ったように、いろいろ問題がありますけれども、その価値観において、特にその二元論において、ゾロアスターの教えに非常に近いですね。でもキュロスの場合は違う。それからアルタクセルクセス二世以後のものもですね。ということは、ゾロアスターの価値観とは異なっており、かなり変化があるということなんです。

 しかしその前に、皆様にお配りした資料に書いてある、ふたつのことについてちょっと触れておく必要がある。と申しますのは、ゾロアスター教というと必ず、これが出てくるんですね。有翼円盤というやつが。私たちのヤスナの会のマークの上にも有翼円盤が出てくる。インドのパールシーも良く使っている。そして、アケメネス朝の時に、これが出てくるんですね。で、これは、アフラ・マズダーのシンボルだということになっていたんです。それを今まで、誰も疑わなかった。しかし現在では、必ずしもそういうわけではないんですね。アフラ・マズダーではないと言う人たちもいます。もう亡くなりましたけれども、有名なゾロアスター教学者のメアリー・ボイスという人が、そう主張している。それ以前にも言った人がいるんですけれども、有力な反論はメアリー・ボイスのものです。何故なら、ゾロアスター教というものは、本来偶像崇拝を否定したので、このようなもので神を表すことはしなかったと、そして偶像崇拝に代わるものとして、火を祭ったんだと主張した。火のお祭りというのは、これは偶像崇拝ではない。火は形のないもので、偶像崇拝ではないというわけです。どうやってこうなったかと言いますとですね、メアリー・ボイスさんにいわすと、アナーヒター女神というものの信仰に対抗するためなんです。アナーヒター女神の信仰がアケメネス朝の末期から、さらにパルティア、そしてササン朝にかけて非常にイラン民族の間で人気を呼んだ。この水の女神の信仰は、偶像、いわゆるセム系のメソポタミア系の神々の神像と同様のものを用いてお祭りをしたんだというんですね。神殿に女神の像を祭って、そこでお祈りを捧げるということが行われた。これはメソポタミアのセム系の大女神の信仰の系統なんです。それを継承して、イランで隆盛を極めた。これに対抗するためにゾロアスター教も何かしなきゃいけない。ところが偶像崇拝はできない。それで火のお祭りをしたんだ、こうメアリー・ボイスさんは言うわけです。

 じゃ、この図は何なのか。いわゆる有翼円盤で、今までアフラ・マズダーの像と言われていたものは、じゃ、何なのか。無いとは言えない。有ることは事実だけれども、アフラ・マズダーという名前がそこに書いてあるわけではない。なんだか分からないんですけれども、とりあえず有るのです。それでメアリー・ボイスさんは、それをフラワシであるとする。フラワシというのはですね、一種の先祖霊と申しますか、守護霊なんです。先祖霊と守護霊がどう違うかという問題も、これも後々お話し申し上げますけれど、ゾロアスター教における先祖霊と守護霊の関係は、仏教の場合とはちょっと違います。世間の仏教では、これもいろいろ節はあるんですけれども、先祖霊の中で成仏した人たちで、徳のある善なるものたちが守護霊になるんだ、なんていい方をします。しかし、これはいろいろ問題があるんで、必ずしも仏教の教えに則っているかどうかは分かりません。とりあえずそういうような説明の仕方をします。ゾロアスター教の場合でも、先祖霊の中で天国に行った人たちが守護霊になるとは、そんなに簡単に言えないんですけれども、その先祖の霊魂と、この世の人々を守護する精霊とは、密接な関係がある。これをフラワシというんですね。そしてこのフラワシという一種の守護霊が、その今までアフラ・マズダーの像といわれてきたものであるんだと、こうボイスさんはいうわけです。そして具体的にはアケメネス朝のフラワシである、王家の守護霊であると、こういうんですね。王家の守護霊がこれが、まさにこの有翼円盤というわけです。

 まぁ、それなりに説得力はあるんですけれども、決定的にこの論拠は弱いんです。私はこれはやはりアフラ・マズダーのものだと思います。なぜかと申しますとですね、この有翼円盤をもって、帝王を守護するものと考えることは、フラワシとかそういうことをいう以前に、すでに神を王朝の守護神として有翼円盤の姿をとって描く伝統があるからです。例えばエジプトのホルスです。それからメソポタミアのアッシュールとか、太陽神のシュマーシュもこういう形で出てくるんです。有翼円盤はイラン以前にもうあったわけです。それは太陽神と密接な関係があるんですけれども、それが帝王の守護者として考えられたことがすでにあるわけです。そう考えますと、単なる守護霊とかいうのではなくて、有翼円盤というのはやはり王を守護する神のシンボルと見た方がいいわけで、これは一種の先祖に結びつくような精霊というようなものを遥かに凌駕するものなんです。まぁ、今はそういう意味で、有翼円盤については諸説ある、というか二説あるということだけは知っておいていただければ結構です。

 話は少々脱線しますが、何年か前に、二、三年前ですかね、アレクサンダーという映画が公開されましたね。いろいろ評判も悪かったみたいなんですけれども、そのアレクサンダーという映画で面白いことに、この有翼円盤図が最初にばーっと出てくるんですね。最初か、最後か、何回か出てきましたね。見た方いらっしゃると思います。それはアレクサンダーをあたかも守護しているように見える。アレクサンダーの偉大な生涯の象徴として出てきたのが、このダリウスとかアケメネス朝の時に出てくるこのアフラ・マズダーのシンボルだったわけです。私に言わすと、これほど馬鹿げたことはないんです。なぜかというと、ゾロアスター教で歴史上最大の悪魔と考えられるのがアレクサンダーだからなんです。というのは彼らがイラン文化を破壊したからです。そこにはいろいろな問題があって、歴史的にそう考えていいかというのは別なんですが。むしろ私なんかに言わせれば、堕落したアケメネス朝の王権を、本来のダリウスの帝国の理想の姿に戻したのがアレクサンダーなんです。つまり帝国というものの理念を確立したのがダリウスであり、アレクサンダーじゃないかという気が私にはするんですけれども。しかし一般的に、伝統的なゾロアスター教徒たちにとって、アレクサンダーというのは悪魔であって、その悪魔の映画のシンボルとしてアフラ・マズダーの有翼円盤を出してくるのは何たることかということになる。

(以上は2007年の春の講義を抄録したものです) 

 

 

 

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