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ゾロアスター教入門

 

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ゾロアスター教入門()

 

 次に問題なのは、ゾロアスター教というと鳥葬と必ずいうことです。鳥に死体を喰わせる仕方は現在では、これは非常にやりにくくなってきています。衛生問題がいろいろ絡んできて、非常にやりにくいんです。本来は、鳥葬というのは非常に衛生的なものなんです。土葬と水葬に比べれば遥かに衛生的で、うまい死体の処理の仕方なんですけれども、近代になってきますと、どうもそうとばかりには考えられない。鳥が食べた死体の残りを運んできてそこら辺に、まき散らしたみたいなことがある。マンションのベランダのところに、へんてこなものが落ちてるから何かと思ったら、鳥が死体から持ってきて、ここにやったんだというような話も、あるみたいなんですね。また一見すると野蛮であるし、だんだん何処でも禁止されてくる。イランの場合は前の王様の時からもう、禁止されています。で、パキスタン、さらにはインドでは残っているんですけれども、これもだんだんやりにくくなってきていることは、事実です。

 それとこの仕方は乾燥した土地で、太陽の光がサンサンと注ぐところでやるから意味がある。肉を鳥が食べますね。食べると骨が残るわけですね。その骨が太陽の強い日射の中で、ボロボロになるわけです。そしていわゆるカルシウムになって、終わっちゃうんです。その日照時間が短くなったり、周囲のいろんな影響で、どうも弱くなっちゃったんですね。風化がものすごく遅い。人間の手で砕かないとだめになってくる。日陰ができちゃって、一日のうちに数時間あたらなくなるなんてことは、ボンベイ辺りで、けっこうある。それで、どうしようかと考えている。反射レンズを作って、太陽の光をそこに集めようとか、いろいろ考えているらしいですけれども、なかなかうまくいかないようですね。鳥葬もやっぱりいつまで続くか分からない。ゾロアスター教がなぜ鳥葬というのをやるかというと、これは彼らが土とか火とか風ですね、それから水という自然のエレメント、いわゆる四大元素、これを汚さないために、鳥葬というものをやったんだと、説明されている。この説明はともかくとして、事実として鳥葬というものを彼らは長い間やってきました。

 ところがですね、アケメネス朝の墓というものをみますと、鳥葬とはいえない面があるんです。土葬ではなかったかという説の方が有力なんです。骨が見つかっているわけではないので、なんともいえないんですけれども、とりあえず、石の棺の中において、さらにそれを岩の中において、封印したという形なんですね。で、鳥に喰わしたという証拠もないところにもっていって、お棺があるものですから、これは土葬ではなかったかという説があります。もう一つは、アケメネス朝の前、さらにはパルティアの時代にもあるんですけれども、イラン周辺部で、王朝の直系ではなくても、王朝に関係する貴族階級の墓というものが発掘されている。そこでは完全に骨がでてきています。そうすると、土葬の証拠は確かに見られる。しかし鳥葬の証拠がないんです。王家だけは鳥葬したかもしれないけれども、これもわかっていない。

 それでも、先ほど言ったボイスさんは、鳥葬だったと言うんです。鳥葬とまではいわなくても、鳥葬的なものであった。というのはですね、死体の汚れというものを封じ込めるために、あんなに厳重に、棺をコンクリートじゃないですけれども、石製の非常に厚い、丈夫なものにして、しかもそれを岩の横穴の中に放り込んで、厳重に封印をした。まさに鳥葬と同じように、汚れを外に出さないわけです。そういう思想がアケメネス朝の時からあったんだというわけです。しかしこれも推測でしかない。はっきりしていることは、鳥葬というものが今のような形で行われたのは、ササン朝になってからですね。ところが近年、中国でソグド人の墓というのが発掘されたんですね。ソグド人は、イラン系の遊牧民です。彼らの宗教はゾロアスター教であったと、今まで言われている。で、そういう人たちの墓が発掘されて、これはゾロアスター教徒の墓ということで、学会では一大センセーションを巻き起こしているんです。しかし、それは厳密な意味でゾロアスター教のものであったかどうかは、これも大きな問題だと思います。それでもとりあえずゾロアスター教だとした場合に問題となるのは、彼らは鳥葬ではないんです。

 さらに重要なことはですね、中央アジアのイラン系の人々、ソグド人も含めてですけれども、いわゆる今のイラン本土から離れた場所に住んでいたイラン系の人々の遺跡の発掘によって明らかになった、考古学的な証拠というものがあるんです。そこでは鳥葬は行っても、今のようなやり方とは違うんです。オスアリと申しますけれども、骨壺の中に骨だけを保存しておくんですね。パールシー、すなわち現在のゾロアスター教徒の鳥葬では骨も最後には風化させて、ばらばらになって、跡形もないようにする。しかし古い形の鳥葬というのは、そういう仕方ではなくて、骨だけは保存して、骨壺に入れて、そしてそれを岩の横穴みたいなところに、置いておくんです。ところが、この鳥葬のやり方というは、イラン本土にはほとんど見られないんです。骨を入れるオスアリと呼ばれる骨壺も、本土のイランでは見られない。そうすると鳥葬と言っても色々の形があったことになる。

 ちなみになぜ、そういうオスアリと呼ばれる骨壺の中に骨を入れたかというと、これはゾロアスター教の文献の中にはっきりと出ているんですけれども、ゾロアスター以後三千年に世界の終末が訪れるんです。そしてこの世の立て直しの時に、死者は蘇るという思想があるんです。その死者が蘇るために、その骨というのが必要なんです。その骨を元に、また神が死者を生き返らせる。従って骨がもし無くなってしまうと、死者が蘇る手がかりが無くなってしまうんです。それ故、アヴェスタの記述から見る限りは、死んだ人の肉は喰わせますけれども、骨だけは保存しておくのがゾロアスター教的なんです。しかし今のゾロアスター教の子孫たち、パールシーと呼ばれる人たちは、骨を砕いています。骨を砕いて風化させ、雨で流して何もない状態にするのが、鳥葬だと思っていますけれども、どうもそういうものとは違うんですね。

 そうすると鳥葬にもいろいろバラエティがあるのがわかりますね。チベットの鳥葬の起源というのに、ゾロアスター教の影響があったという説がありますね。しかしチベットのあれは、これは最後に骨を壊しますけれども、その前に、鳥に食べさせる前に、死体を切り刻みますよね。チベットの鳥葬は元々、仏教のものではなくて、ポン教といわれる仏教以前のものなんです。ポン教というのは西から来た。イランの方から来たという伝説がありましてね、どうもこれがゾロアスター教の影響じゃないのかといわれているんです。そこにおける鳥葬と、いわゆる今のゾロアスター教徒がやっている鳥葬とは、かなり違うんですね。つまり鳥葬というものも、いろいろバラエティがある。それ以上に、アケメネス朝の場合は、果たして鳥葬であったのか、ないのかという、大きな問題もあるわけなのです。こうしたことから、アケメネス朝の宗教は、単にゾロアスター教といえない面があるということになるのです。

 でも、その根本の問題は何かというと、こういうことを議論する人たちが、決定的に忘れている事実があることなんです。そもそもゾロアスター教とは何を指しているのかということが、はっきりしていなんです。だから先ほど言ったように、ソグド人がゾロアスター教徒なのか否かとか、いろんなことをいっている。アケメネス朝がゾロアスター教であるかないか、というのなんかもそうなんです。そもそも何を指してゾロアスター教といったり、ゾロアスター教徒といったりするのか、こういう定義をはっきりしないで、いくら議論したって、水掛け論なんです。この状況でいくら議論をやろうとしても、私は無駄だと思います。私自身は、先ずゾロアスター自身の教え、その具体的な内容はアヴェスタの中にある最古のガーサーで述べられているんですが、そのゾロアスター自身の思想をはっきりさせることだと思います。それを元にゾロアスター教を定義するのが正しいと思います。そうすると、現在のゾロアスター教徒といわれる人々が主張するものとは、若干違うものも出てくるかもしれないけれども、それはそれでいいんです。例えば仏教でも、お釈迦様自身の思想と、そしてその後に発展したところの仏教とは違いがあるようにですね。ゾロアスター教もまさにそのように開祖の教えと、それ以後の発展は違う。その事実をはっきりさせた上で、ゾロアスター教というものが、開祖の時は、こうである。それからこのように変化して現在はこのようになっているということを、はっきりさせる。その上で、それとどのように関係しているのかという議論をしないといけない。ゾロアスター教といった時に今のゾロアスター教を指しているのか、それともアケメネス朝の宗教を指しているのか、それぞれの意味するものがばらばらでですね、それでは議論しても始まらないんじゃないか、という気がいたします。つまり、もっと具体的に見ていく必要があるんじゃないかなという気がいたします。いわゆるゾロアスター教とアケメネス朝の宗教、さらに同じペルシア帝国の宗教であり、アケメネス朝の宗教とササン朝の宗教の違い、ここら辺をやっぱり見ていく必要があるんじゃないかなと言いたいわけです。

 それで、そのアケメネス朝の宗教の中でも、三段階ある。キュロスの時、ダリウスの時、それからアルタクセルクセス以降です。その中でダリウスの宗教というのは、ゾロアスターの教えに一番近い。ところがアルタクセルクセス以降になってくると、いろんな問題が出てくる。というのは広大な帝国になった故に、いろいろな文化が流入してくる。それともう一つは、ゾロアスターの教えというのは、先ほど言ったように、非常に正義ということを強調する。しかし正義の理念で実際に帝国を統治していくなんてことは、よっぽどのりっぱな絶対君主でないと無理なんですよ。理念でもって統治するなんてことは、よっぽどの傑物でない限り、できない。人間理屈じゃないです。人々は昔から現世利益的なものにどんどん流れていく。それは今と同じですね。正義云々何ていったって、そんな簡単には行かない。理想的には行かない。するとやっぱり純粋な道徳的な価値観とは関係ないような、古来からのいろんなものが、民衆の信仰みたいなものが、やっぱり盛り返してきます。権力者自身も、ある意味では、それに合わせていかざるを得なくなっていきます。そういう中で宗教も変わっていくわけなんですね。ペルシアの場合も、ダリウスという傑物があって、しかも強大な権力を完全に掌握される人物であって初めて、できた正義の理念の統治だったんです。

 で、アルタクセルクセス二世のあたりにはまさにそうなんですけれども、アケメネス朝の箍が、ある意味ではダリウス的なものの箍が緩んでくる。その間にはやはりギリシアとペルシアの戦争とか、いろんなものがあって、混乱が生じたりしてきたりするわけですね。国内的にも無理がくる。こういう中で出てくるのがミトラの信仰ですね。アヴェスタではミスラと申しますけれども、ミトラ神の信仰。それともう一つ、アナーヒター女神の信仰なんですね。ダリウスの時にはアフラ・マズダーの加護があれば、それだけでよかったんです。ところが後になってまいりますと、アフラ・マズダーって尊い神らしんだけれども、どうも近付き難い神である。それよりも一般に人気のあるミトラとかアナーヒターとかいう神がいないと、安心できなくなっちゃうんですね。そして、たくさん神様がいた方が、安心できるというか、そういうようになっていく。ところがミトラ、アナーヒターに関しては、ゾロアスター自身はまったく無視している神なんです。おそらく知っていたんだと思いますけれども、あえて出さなかった。アフラ・マズダーの唯一性ということを強調して、他を出さなかったんですけれども、アケメネス朝のその後半になってきますと、アフラ・マズダーとともにこの二神がほとんど同等のような位置を占める形で、王朝のいろいろなものの中に描かれるようになります。むしろアフラ・マズダーは形だけの、建前に過ぎなくなっていく。

 日本でも例えば編の御中主というのがありますよね。この神は最高神ということになっている。しかし一般にはあまり出てこないですよね。この神を祀ってある神社はあまりないですよ。それよりも天照大神や出雲の神様そして金比羅さんとかいろんなのが人気あるわけですよ。お稲荷さんなんかですね。そういう意味じゃ、アフラ・マズダーというのは御中主にちかい、つまり、抽象的な神なんですね。それで、これで安心できなくなって、他の具体的なものを出してくる。この傾向がアケメネス朝の後期に生じたわけなんですね。そしてその代表が、いわゆるゾロアスター以前のアーリア人の信仰に大きく関係している、ミトラ神なんです。

(以上は2007年の春の講義を抄録したものです)

 

 

 

 

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